井原市文化財センター講座「石器づくり体験」開催
井原市文化財センターでは24日(日)の10:00〜11:30、文化財センター講座として石包丁作りを行うようです。定員は20名で、応募者多数の場合は先着順、対象は小学生高学年〜、申込みは文化財センターへ電話、ファックス、メールで8月22日(金)までとのこと。
夏休み最後の思い出作りに、親子で古代体験というのもいいですね。詳しくは下記のリンクから。
井原市文化財センター古代まぼろば館・・・さて、我が岡山県古代吉備文化財センターでも今週末23日(土)に「大地からの便り2008〜県内の発掘調査報告会」を開催します。ぜひぜひ参加してやってくださいね。
美作国府跡出土の檜扇について
少し前のことですが、岡山県古代吉備文化財センターが調査を実施している津山市美作国府跡で見つかった奈良時代の大形井戸から、奈良時代後半のものとみられる檜扇が見つかったそうです。詳しくは下記のLINKから。
美作国府跡発見の大井戸と檜扇についての資料を掲載美作国府跡は言わずとしれた奈良〜平安時代の国府およびその関連施設群跡で、これまでの岡山県教育委員会や津山市教育委員会の調査で、奈良時代の国庁中枢域や平安時代の国司館跡などの様子が明らかになりつつあり、全国的にみても珍しい(ていうか唯一の)東向の政庁をもつことでも知られています。
今回見つかった井戸は一片3m、深さも同じく3mをはかる大形のものですが、どういう訳か素掘りのもののようです。美作国府跡でのここ最近の調査では、平安時代の井戸が数基確認されているようですが、いずれも井筒を伴うものであったようで、構造の違いが注目されます。
さて、檜扇は「ひおうぎ」と読み、資料にあるとおり薄い檜を何枚か重ね、下端を綴じて、上端に糸を通して開閉可能にした扇です。イメージのわかない人は平安時代の絵巻物で女性が顔を隠すのにもちいているアレを思い浮かべてください。そういや色が茶色だったでしょ。9世紀ごろ日本で生まれたとされ、最近では奈良県石上遺跡で出土が知られているほか、京都府の教王護国寺千手観音の胎内から見つかったものは「元慶元年(871)年」銘があり、古式の形状を伝えるとされています。
室町時代にかかれた有職故実の文書、「装束雑事抄」によれば、一般臣下が用いるものは25枚一組が基本で、使用者の年齢により長さが異なるようです。また、「四、五、六位等冬束帯以下に之を用い」とあるので、かなりの高官の持ち物であると同時に、冬服に合わせて身につけるものであったようです。
有職故実は一般に平安時代に研究が盛んになったとされ、奈良時代のものと同一であるかはわかりませんが、調べて限りでは奈良時代に定められたとされる「衣服令」には檜扇に関する記述がみられないので、この段階(養老律令、757年)ではまだなかった可能性があります。また、四位は一般に皇族の王子が、五、六位は地方官では国主たる「守」か、現在の副知事にあたる「介」クラスにあたるので、相当高官の持ち物であったことは疑いがありません。
見つかった場所も政庁域のすぐ東とのことで、これはかなり注目される資料ですね。今後の展開に期待です。
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ubuntu hardyでkernelcheckを使ってみました
少し前ですが、linux kernel 2.6.26.2がリリースされています。これまでdebian unstableを使っていた頃は最新kernelの追っかけをやっていたので、debianのkernel-packageにはかなりお世話になりました。ubuntu hardy heronでは何か簡単なkernel再構築用のアプリケーションはないものかと探していたところ、 kenrekcheck なるもが存在するらしい。GUIで操作可能な上、kernel再構築に必要な各種パッケージと、コンパイル、kernelのdebianパッケージ化、そしてインスト−ルまで、すべてをこなしてくれる優れもの。早速導入しました。
$tar -xzf kernelcheck-*.tar.gz
$cd kernelcheck-*
$sudo python setup.py install
と、導入は以上のコマンドで完了。次に、
で起動します。
起動後、「Get Kernel Information」ボタンを押せば、現在運用中のものと最新版のkernelバージョンを調べることができます。この状態でProgram > Build New kernelで、最新kernelの再構築が始まります。その際、NVIDIAのグラフィックカードでメーカー謹製ドライバーを使っている人は、下の「Advanced Options」タグをクリックして、「Install Envy for Ubuntu Hardy」にチェックを入れておくと吉。再構築時に必要なパッケージをダウンロードしてくれる上、NVIDIA用のKernelモジュールもコンパイルしてくれます。
運用中のkernelのヘッダファイルから、再構築用の設定やパラメーターを自動的に読み込んでくれるみたいですが、細かくチューニングしたいのなら、コンパイル前に起動するXconfigで設定をいじり倒しておきましょう。僕の場合はまず、「prosessor type and features」プロセッサータイプをきちんと指定し(今回の場合はPentium M)、lsmodコマンドで現在のkernel上で読み込まれているモジュールをチェックして、それを参考に設定しています。
・・・そのまま再構築しても容量300MBを超える巨大kernelができてしまいました。hardyのデフォルトkernelで45MBぐらいなのでかなり大きいです。うーん、いつも通りやっているつもりなんだけどな。だいぶ無駄なパラメーターが読み込まれているらしい。少し研究します。
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津島岡大遺跡現地説明会へ行ってきました
というわけで真夏の現説ダブルヘッダー第2弾は岡山市津島の津島岡大遺跡です。ここ津島岡大遺跡は岡山市街地の北、半田山の麓にある遺跡で、現在は岡山大学の構内にあたります。南500mのところにある津島遺跡と同じく弥生時代前期の水田が広がっていることで知られています。また、その下層には縄文時代後期前葉の遺構群が広がっていて、山に近いだけあって古くから安定していたようです。ちなみに縄文時代前期の地層からプラントオパールが出土したことで知られている朝寝鼻貝塚(主体となるのは縄文時代後期です)はこの遺跡から北東300mのところにあります。
今回の調査では平安時代の道状遺構、その下層で弥生時代前期の水田面、さらに下層では縄文時代後期の包含層が広がっていたようです。写真中でやや黒く見えるのが弥生時代前期の水田層です。水田放棄後に沖積が進んでいたためか、畦が残っているのも津島遺跡と一緒ですね。水田の畦はかなり低く、Y字形に連接します。この辺の形状は弥生時代中期までの水田によく見られるものです。また、今の水田みたいに溝が一面一面にとりついているわけではなく、段々に造成された水田内に引かれた水が、畦を乗り越えて隣の水田に入っていくという、「オーバーフロー」形式で導水されます。この方法なら、大規模な灌漑用水網整備の必要がないですし、旧地形に制限されがちな低湿地を効率よく水田に改変できます。人口が少ない段階の知恵ですね。
今回調査地点は岡大構内の北東隅に近く、縄文時代後期の集落域にあたるものとみられていたようですが、ちょっと外れてしまったようです。土器もローリングされた小さいのものが多く、集落とは少し距離がありそうです。石錘など漁労具が出土しており、当時の生業や環境がしのばれました。土器は縄文時代後期の福田K2式段階と縄文時代晩期の突帯文式段階のものでした。福田K2式の深鉢と浅鉢は太い沈線が描かれるもので、浅鉢には口縁をかなり肥圧するものがあって、後続の津雲A式などに後続する要素がみられました。すでに千葉豊氏により、この段階の深鉢と浅鉢は変化速度が違うということが指摘されているのですが、この辺を注意しとかないと年代評価を見誤りそうで、勉強になりましたね。まぁ、会場にいた山口君の受け売りですが。
・・・よく見れば、写真に写っているのは1964年の津島遺跡調査参加者にして元古代吉備文化財センター所長の正岡さんでないですか。暑いのにお疲れ様です。
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鹿田遺跡現地説明会へ行ってきました
さて、前回お知らせしたとおり、8月9日に開催された鹿田遺跡の現地説明会へ行ってきました。鹿田遺跡は岡山市街地の中央、現在の岡山大学病院あたりを中心に広がる弥生時代中期〜近世にかけての複合遺跡で、岡山大学埋蔵文化財センターや岡山県古代吉備文化財センター、岡山市教育委員会により断続的に調査されています。この遺跡は特に平安時代に藤原摂関家の荘園が置かれていたことで特に著名ですが、し今回の岡山大学埋蔵文化財センターの調査では、その下層に広がる弥生時代後期の貝塚が見つかったとのことで、さっそく行ってみました。
土器、ドキ、どき・・・。小さな調査区を全面に土器が覆っていて、大きな土器だまりになっています。説明してくれた岡山大学の野崎さんによると、この場所は鹿田遺跡弥生集落の北東隅にあたり、調査区のすぐ北を川が流れていたようで、調査地はこの川へ向かって北へ下がっています。貝塚になっているのは調査地のなかでも標高の最も高い部分で、そこから下へは土器と石が大量に混じり合って出土しているとのこと。貝の種類はヤマトシジミが大半で、ハイガイ、カキなどを含んでいるそうです。この辺は岡山県内の縄文〜中世にかけての貝塚と同様の傾向ですね。
貝層の厚さは30cmくらいあって、その下には褐色の汚れた土がみられ、さらに下は地山になるようです。出土した土器は壺、甕、高杯、鉢、器台、製塩土器などで、ぱっとみ壺や高杯、甕が多いようですが、少なくとも2つくらいは器台がありそうです。低くなっている川部分の土器の方が古く弥生時代後期前半、そして斜面部分は後期後半の土器が多くいくつかの時期に分けて土器が捨てられているようです。貝塚は後期前半に形成され、その後、後期後半の土器層に覆われたとのことでした。
調査者の皆さんもだいぶ悩んでましたけど、こりゃいったいなんでしょうかね。貝塚、土器だまりの全体規模が明らかになっていないので断言はできませんけど、土器だまりとしては割と大きな部類になるようですね。貝塚が作られているのは、この鹿田遺跡が当時、海に面していたことを考えれば特に不可解思うこともないのでしょうけど。ただ、土器は何段階かに分けられて捨てられているらしいので、一時期の土器捨て量としては、そんなに多くないのでは。器台の数なんかからみても単位集団による祭祀後の土器捨てくらいの量かなと。まぁ、それでも貝層、土器層の下の褐色の土層の正体わかりませんけどね。・・・単純に微高地縁辺部の斜面堆積な気もするけど。
謎は深まるばかり?次回は津島岡大遺跡の現説についてお知らせしますよ。
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井原市埋蔵文化財センター企画展示開催
井原市埋蔵文化財センター古代まぼろば館では、企画展「吉備の文化財探訪5−須恵器窯を掘る 寒田窯跡群4号の調査成果より−」を8月8日から開催するそうです。
寒田窯跡群は倉敷市玉島陶にある6世紀〜7世紀にかけての須恵器窯跡で、岡山県教育委員会により5号窯が1970年代に、倉敷市教育委員会により4号窯が平成11年に調査されています。平成11年の4号窯の調査では多量の須恵器のほか陶棺も出土しており、瀬戸内市の寒風古窯跡群と並んで、岡山県内の大生産地の様相が明らかになりました。また、この玉島陶にいた須恵器工人が平安時代の終わりごろに近辺の亀山へ移って焼き始めてのが亀山焼きであるとされており、備中西部の古代史像を描く上で外せない資料となっています。
というわけで、是非見に行きたいですね。詳しくは下記のリンクから。
井原市埋蔵文化財センター古代まぼろば館[ コメントする ]



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