
天橋立
明日、29・30日は職場の同僚と旅行にでかけます。
今年の行き先は城崎温泉、出石、天橋立という、但馬・丹後ルートです。
この方面にいくのは2004年に嫁さんを連れて旅行して以来5年ぶりだったりしますが、結構楽しみですね。
・・・あれっ、なんかどこも遺跡によらないみたいなんですけど。
さて、写真は2004年に撮影した天橋立です。日本3景に数えられる超有名スポットですね。この写真はいわゆる「飛龍観」という眺望でして、有名な「股のぞき」はこのアングルから観るものです。
そして、久々の出石散策。あの時はあんまりゆっくり観られなかったので、今回はしっかり出石城や辰鼓楼も観てきたいですね。
さて、どんな旅行になるのやら。
| 2009年08月28日 23:24
| 史跡・風景, 遺跡・史跡写真
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ゴーヤチャンプルー
ゴーヤチャンプルー。めちゃくちゃ久々の今日作った飯。でもさぼってたわけじゃありませんからあしからず。ただ更新してなかっただけですよ。
さて、先週の「大地からの便り2009」に参加のみなさん、ありがとう&おつかれでした。懇親会も盛り上がりましたね。
さて、このブログ、どうも埋文関係者(岡山市のN君、赤磐市のA君、ありがとう!)の方も見てくださってるみたいなんすけど、よかったらコメントしてくださいね。あっ、でも荒らしちゃだめですよ(君のことだよ、岡山県のI君)。
| 2009年08月27日 00:27
| 今日作った飯
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午砲台跡
事前にテレビなどでも紹介されていましたが、岡山理科大学と岡山理科大学附属高校により共同で調査が行われている半田山午砲台跡の現地説明会へ行ってきました。
この遺跡は岡山市の北麓、半田山にあります。午砲というのは明治時代終わり頃から昭和初期の間に午後0時を知らせるため打たれた号砲のことです。
時の明治政府は富国強兵策をすすめていく上で、国民生活の近代化・規律化を不可欠と考えていました。そこで政府の作った真性時刻で国民を管理するため、時刻を知らせる午砲が打たれるようになりました。この午砲台はそうした午砲を打つための大砲を据え付けた、台座の跡です
ここ半田山の午砲は写真奥に見える岡山大学にかつておかれていた第17師団(日露戦争時に編成された師団です)により管理・運営されていて、大正11年に第一次世界大戦後の世界的な軍縮機運に押される形で第17師団が解散された後もしばらく使われていたのですが、その後昭和4年には廃絶し、現在に至るそうです。
遺跡には大砲を設置した花崗岩製の砲台座が残されていて、周辺をコンクリートで固めた跡や、台座が崩れないよう水抜きの備前焼製排水管などが見つかったそうです。
さらには山口県萩市に残る長州砲を参考に、当時の大砲を1/2スケールで復元するなど、単なる発掘調査にとどまらず、多様な手段で当時の午砲の実態に迫ろうとされており、岡山理科大学の皆さんの熱意には頭が下がるばかりです。
ただ、残念なことに、この午砲台は昭和50年代以降に多量の産業廃棄物で埋め立てされていたそうです。やはり文化財としての認識が低いと、近代史の生き証人ともいえるこの遺跡でさえも粗末な扱いを受けるということは、文化財保護に関わるものが肝に銘じておかなければならないことでしょう。
こうした近代遺産保護の取り組みは岡山県ではまだ始まったばかりですが、是非今後も追跡していきたいと思います。
| 2009年08月25日 00:01
| 岡山県考古学情報, 現地説明会情報
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