牛窓の本蓮寺へ行ってきました

本蓮寺の三重塔
瀬戸内市牛窓町にある本蓮寺に行ってきました。ここ本蓮寺は法華宗本門流での寺院で、近世には朝鮮通信使の宿泊所として利用されてことで名高く、現在は国の史跡に指定されています。
南北朝時代に創建され、一時建物の失われた時もありましたが、何度も拡張・修理を経て現在に至ります。特に朝鮮通信使がもてなしを受けたとされる客間の庭園は見事なものです。
庭園の見学には予約が必要なため、今回は本堂とその周辺の伽藍について紹介します。
左は境内にある三重塔で、この塔は1690年、近世前期のものですが、本堂並びに中門は15世紀末、中世後期に再建されたものです。
岡山県内には赤磐市千光寺や岡山市金山寺を始め多数の三重塔が知られていて、この三重塔も花頭窓などに近世前期建築の風格をよく残しています。
海にせり出したこの塔は遠くからもよく見えたことでしょう。近世に多くの廻船でにぎわった牛窓のシンボルとなっていたことも想像に難くありません。
なお、この境内からは古墳時代中期の前方後円墳として知られる黒島古墳や、縄文時代早期の貝塚として著名な黄島、犬島などが見えています。参拝された方は、是非当時の様子を想像してみてください。
本蓮寺本堂
さて、こちらは本堂です。ごらんの通り、均整の整った寄せ棟造りで、とても美しい建物です。
肋木の構造は簡素ながら、その上の屋根の描くカーブがきれいで、しばらく見入ってしまうほどでした。
写真では紹介できませんが、欄間の意匠もこった造りで見応えのあるものです。
この本堂のほかに、中門と本堂の裏手にある番神堂も国の重要文化財となっていますが、さすがに国の史跡と言えるものですね。
さて話はすっかりかわりますが、この本蓮寺本堂の屋根瓦には備後国尾道の瓦工人の名が刻まれたものがあるとのこと。
1455年に書かれた兵庫関の入船記録である『兵庫北関入船納帳』には牛窓から多くの船が入港していたことが記されていて、当時の牛窓が中継貿易港としてとてもにぎわっていたことが想像できます。なんでも備前国の島嶼部からの入港が多く、ついで備後国尾道からの船の多いことが指摘されています。
このことからこの本蓮寺創建当時、同じ瀬戸内海の潮待ちの港として栄えた両地域の深いつながりが裏付けられ、この本蓮寺の瓦もそうした瀬戸内海交通の生き証人といえそうです。

本蓮寺鬼瓦
最後に屋根の上に乗っている鬼瓦です。というか、これは白備前の置物なのでしょうか?丸瓦はまさに中世のそれですね。勉強不足でよくわからないので有識者の方、是非詳細を教えてください。





